正論という「炎」の渡し方

「正しいこと」を言っているはずなのに、相手が動かない。

それどころか、なぜか反発される。関係がギクシャクする。


そんな経験はないだろうか。

多くのリーダーが、この罠に陥る。


自分は正しい。ロジックも通っている。相手のためを思っている。

それでも、伝わらない。


結論から言う。


正論そのものに価値はない。

渡し方ひとつで、人を温めもするし、焼き尽くしもする。


火は、人類にとって不可欠なエネルギーである。

正しく扱えば、温かみを与え、暗闇を照らし、文明を進化させる。

人を生かす力になる。


だが一歩間違えれば、業火になる。


制御を失った火は、家を焼き、人を傷つけ、積み上げた信頼を一瞬で灰にする。

あなたの正論は、どちらの火だろうか。


「こうあるべきだ」「なぜ、できないんだ」

その言葉は、相手の状況や感情を無視した、一方的な炎になっていないか。


正しさは免罪符ではない。


社会人である以上、相手の尊厳を守る責任がある。

これが前提だ。後からフォローしてももう遅い。


火傷を負った人が、素直に動くだろうか。

むしろ反発する。距離を取る。信頼を失う。


正論のつもりが、組織のパフォーマンスを下げる。

これでは本末転倒だ。


聖火リレーを思い浮かべてほしい。

走者は、次の走者が受け取りやすいように、速度を合わせ、角度を整え、確実なタイミングでトーチを渡す。


投げつけない。押し付けない。

受け取れる形にする。


正論も同じだ。

相手の心の準備を整える。立場を尊重する。


そして「今かどうか」を見極める。

タイミングと配慮が必要だ。


その火は、相手の中に小さな火種を灯すためにある。

自ら気づき、自ら動くためのエネルギーとして渡す。

そこまでできて、初めて価値になる。


火は人類を生かす。

火は人類を滅ぼす。

扱い方次第。


火を正しく扱える者だけが、一流になる。


「正論の渡し方」を、もう一度見直してみる。

それができて初めてプロとなる。