「有る」なら、真似よ。

我々は「『無い』なら、つくる」を理念に掲げている。

だが、自問すべきだ。

あなたは「ゼロからつくる」ことに固執し、車輪の再発明に貴重な時間を使っていないか?


新しい価値を生み出そうとするとき、多くの者は二つの罠に陥る。

一つは、先人の知恵や既存のフレームワークを無視し、すべてをゼロから作ろうとする「独創性の罠」だ。

もう一つは、思考停止のまま他人の成功を表面上コピーしようとする「模倣の罠」である。


どちらも本質から外れている。


古今東西、道を極めた者で、真似から入らなかった者は一人もいない。

書道の達人も、最初は手本をなぞる「臨書(りんしょ)」から始める。

世界的なバイオリニストも、最初は先人が奏でた単純な音階を徹底的に模倣するところからスタートする。

彼らは真似ることで、型の中に宿る「理(ことわり)」を体に刻み込んでいるのだ。


先日、ある教育者が「将来、販売員になる学生たちに、何を伝えるべきか」と悩んでいた。

私はこう彼に伝えた。「商工会の販売士資格のテキストを解体しろ」と。


あのテキストには、「接遇」「マーケティング」「在庫管理」「店舗設計」といった、商売の「基本の型」が詰まっている。それらは何十年もかけて磨き上げられてきた先人の知恵の結晶だ。


その既存の「型」を、一つひとつ丁寧に分解し、学生たちの未来(=現場)という文脈で再構築する。

「接遇の型」と「マーケティングの型」を組み合わせ、彼らが現場で直面するであろう具体的な課題に接続する。

それこそが、彼らにとって最も価値ある「オリジナルな講義」になる。


「『有る』なら、真似よ」。

これは思考停止の、世にいう「パクリ」を推奨する言葉ではない。

世にある優れた「型」、すなわち基本と原則を徹底的に学び、吸収せよという哲学だ。


「エース」の投球フォームを学ぶように、まずは基本を体に叩き込む。

だが、そこで終わらない。本分である我々の仕事は、その学んだ「型」を、自らの現場、自らの顧客、自らの文脈に合わせて「解き直す」ことにある。


既存のAという型と、Bという型を組み合わせ、自分の現場(C)というフィルターを通す。そこで初めて、それは模倣ではなく「新たな価値創造」へと昇華される。


「『無い』なら、つくる」の真意は、無から有を生むこと”だけ”ではない。

「有るもの(型)」を学び抜き、それを組み合わせて「新たな価値」を世に問うこと。

それこそが、我々の定義する「つくる」だ。


あなたの目の前には、無数の「型」が転がっている。


まずは一つ、徹底的に真似てみよ。そして、明日、それを組み合わせて現場で価値を問え。